昭和52年01月16日 今村家霊祭(二代親先生)



 それこそその家から一人出家が出ると、七代まで助かると言う。それこそ今日の御霊様の喜びようと言うのは、大変なことだったと思いますね。それこそ和子さんにあたしはにどれだけお礼申し上げてもいいいですね。それこそまあ御霊の世界を知らんから、あのうまあとやかく申し上げられませんけれども、確かにあの世と言うのは魂の世界ですね。もうあの神様の方でどんなに御祈念しても、聞くともなされなかったですが。和子さんのこと申し上げたらもうあのお広前がすっす、入っていくわけですよ。
 それこそ御霊様の前で御祈念させて頂く時は、もう御霊様の喜びとしか思いようがないくらいに、あのー感動してくださって、まさに本当教祖伝の中にありますように、それこそあの今村家のうからやからの御霊様がもう総出で喜んでおられるという感じでした。まあほんとにあのそういう意味合いで、それこそ今村家一同の者が、それこそかずこさんにお礼申し上げてもいいお祭りだったと思いますね。
昨日はあの、あそこの末永先生のところのご親戚の方の霊祭がありまして、そちらにやらせて頂いたんですが、それこそもうお祭りを仕えながら、全然そのご祭典に乗らないんですよ。それでどういうことやろうかと思うて、それこそあのう、一生懸命お詫びしながら御祈念させて頂いたんですが。神様の方に御祈念をさせて頂くために座った途端に、赤ん坊の泣き声がずーっと聞こえるんです。
 要するに実際に泣いているわけですね、座った途端に赤ん坊の泣き声が聞こえるわけですね。それでもう言うならば、もう思いが足らないということですよ。そういう意味合いで、今日のお祭りというのはこんなに思いを込められたお祭りはないでしょう。普通はそこをあの牛乳は取ってないんだそうですけど、どういう間違いか、その日に限ってそれこそ牛乳のお供えがあってるわけです。
 そこの霊祭に行きますと、4カ月ちょっとで亡くなってますからね、必ずあの牛乳のお供え、哺乳瓶に入れてお供えなさってたわけですが、まあそういうことももうおろそかになって、あのするはずじゃなかったのにまかり間違うて、その牛乳だけをお供えがあった、お供えというか配達屋さんが間違うて持って来ておるわけです。ですから神様の働きと言うのは、そういう風に微に入り細に渡ってあっておるわけなんだけれども、こちら側の思いがないと、それを受けることができんわけです。
 例えば、ニワトリがエサをあさっておる。人間が見ると、「あんなものを」と思うけれども、ニワトリの世界ではそれが一番尊い事なんですね。例えばニワトリは、猫に小判と言うけれども、ニワトリにどんなダイヤモンドのエサをやってもそれは喜ばんわけですね。いわゆるニワトリの世界と人間の世界が、それだけ価値が違うということです。私達の住むもので、この人間の世界で求める尊いものが、あの世で絶対全然通用しないということなんですよ。
 あの世で通用するのは、それこそ改まった心、磨かれた心しか通用しないということをね、今日の御霊様の、を境に一つ気付いて頂きたいと思います。そういう道があるということを気付いて頂きたいと思う。それと同時それこそ昔から言われる、その家から一人出家を出すと、七代まで助かるということを今日ほど実感させて頂いたことはないし、もうただほんとにかずこさんにどれだけ、まあ恩に着せるわけじゃないですよ。
 けどほんとにあのどれだけ感謝してもいいという気がいたします。それこそ御霊の世界にいればいよいよそのことをお気づきになるだろうし、またひいてはこれはかずこさん、いよいよやっぱり力を頂かなきゃいけんと思いますね。それこそ神も助かり、氏子も助かり、御霊も助かりというほどしの力をこれからいよいよ頂いていかなきゃいけないです。ただあんたのその修行がムダじゃない、はかして頂いた人も有り難いと思いました。
   おかげを頂きまして有り難うございました。